賃貸借契約の締結後、入居開始日前に契約者から、
「やはり入居できなくなったので、キャンセルしたい」
と連絡があった場合、皆さんはどのように対応しますか?
まだ鍵を渡していない。
入居も始まっていない。
だから、契約自体をキャンセルして、預かった契約金を全額返還しなければならないのでしょうか。
それとも、すでに賃貸借契約が成立している以上、「キャンセル」ではなく「解約」として処理するのでしょうか。
実際に当社で経験した事例をご紹介します。
入居予定者が契約後に重大事件を起こした
ある契約者が、当社の管理物件へ入居する予定になっていました。
重要事項説明も終わり、賃貸借契約書への署名など、必要な契約手続きもすべて完了していました。
あとは契約開始日を迎え、鍵を引き渡すだけという状態です。
ところが、入居開始日の前に、契約者本人が重大な事件を起こしました。
事件は全国ニュースでも報道され、契約者本人が予定どおり入居することは、事実上困難な状況となりました。
その後、親族から当社へ、
「入居できなくなったので、契約をキャンセルしたい」
との申し出がありました。
※契約者のプライバシーに配慮し、事件の内容、発生日、人物を特定できる情報は掲載しません。
入居開始日前なら「キャンセル」になるのか?
賃貸仲介の現場では、重要事項説明や契約手続きが終わった後に、入居者からキャンセルを申し出られることがあります。
転勤がなくなった。
同居する予定だった人と別れた。
家族から反対された。
勤務先を解雇された。
病気や事故で引っ越しができなくなった。
理由はさまざまです。
しかし、ここで重要なのは、入居開始日前かどうかだけではありません。
そもそも、賃貸借契約がすでに成立しているのかどうかです。
国土交通省の「賃貸住宅標準契約書」の解説では、賃貸借契約は当事者による申込みと承諾の意思表示が合致することで成立する「諾成契約」と説明されています。
つまり、鍵を渡していない、入居していないという理由だけで、成立した契約が自動的になかったことになるわけではありません。
今回の事例では、重要事項説明と契約書への署名などがすでに完了しており、当社としても賃貸借契約は成立していると考えました。
しかし、特殊な事情でもあったため、社内だけで判断するのは危険です。
そこで、当社が加盟する全国賃貸管理ビジネス協会の「法律相談ヘルプデスク」を通じて、顧問弁護士へ見解を求めました。
顧問弁護士の回答は「契約書の定めによる」
当社が受けた回答の趣旨は、次のようなものでした。
契約開始日前であっても解約は可能だが、すでに契約が成立している以上、単なる申込みの撤回とは異なる。
返還する金額や契約者に負担してもらう金額は、契約書に定められた引渡し前の解約、違約金、解約予告などの条項に基づいて判断する。
つまり、最も重要なのは、
「契約書に何と書いてあるか?」
ということです。
私は、今でも賃貸の重説もたまにしています。勘が鈍らないようにするためです。その実務の中で実際に目にするのは
「この契約以降入居日前キャンセルに関する条文や取り決め」がほとんどない事です。
契約開始日前だから、無条件で全額返金しなければならない。
反対に、契約済みだから、預かったお金は一切返さなくてよい。
そのように一律で判断できるものではありません。
契約内容、受領した金銭の名目、解約予告期間、違約金条項などを確認し、個別に判断する必要があります。
国土交通省の標準契約書ではどうなっている?
国土交通省の賃貸住宅標準契約書では、借主は少なくとも1か月前に解約を申し入れることで、契約を解約できるとされています。
また、1か月分の賃料を支払うことで、解約申入れから1か月が経過する前でも契約を終了できる内容になっています。
ただし、これは国土交通省が作成した契約書のモデルです。
実際の契約に適用される内容は、貸主と借主が締結した契約書によって異なります。
入居開始日前の解約について独自の取り決めを設ける場合も、既存の解約予告条項との整合性を確認する必要があります。
違約金なら、いくらでも請求できるわけではない
契約書に違約金を書いておけば、どのような金額でも請求できるわけではありません。
個人の入居者と事業者との契約では、消費者契約法が適用される可能性があります。
消費者契約法第9条では、契約解除に伴う違約金や損害賠償予定額が、事業者に生ずべき「平均的な損害」を超える場合、その超過部分は無効になると定められています。
したがって、
「入居前に解約したら、契約金は理由を問わず一切返還しない」
「入居前の解約は、家賃6か月分を違約金として支払う」
などの条項を、十分な根拠もなく設けることには注意が必要です。
実際に条項を追加・変更する際は、自社だけで文言を決めず、不動産実務に詳しい弁護士へ確認することをおすすめします。
契約者の都合でも、オーナーには損害が発生する
入居開始日前の解約には、病気や事故など、やむを得ない事情もあります。
一方で、
「ほかに良い物件が見つかった」
「気が変わった」
「同居予定者と別れた」
など、契約者側の一方的な都合で申し出られるケースもあります。
契約を締結した時点で、その部屋の募集は停止されています。
ほかの入居希望者を断っている可能性もあります。
契約者の都合で突然解約されれば、再募集、広告の再掲載、契約書類の処理など、管理会社にも追加業務が発生します。
そして、空室期間が延びることによって、最も大きな損害を受けるのはオーナーです。
だからこそ、入居開始日前の解約について、あらかじめ契約書で明確にしておく必要があります。
「契約書に書いていない」が一番危険
トラブルが発生してから、
「一般的にはこうです」
「これまで当社では、このように対応してきました」
と説明しても、契約書に書かれていなければ、借主との認識が一致しないことがあります。
明確にしておきたいのは、主に次の事項です。
- 賃貸借契約が成立する時点
- 入居開始日前に解約できるか
- 解約の申入れ方法
- 解約予告期間
- 即時解約する場合の負担
- 預かった敷金、前家賃などの返還方法
- 仲介手数料や各種費用の取扱い
- 違約金を設ける場合の条件と金額
ただし、条項を追加すれば終わりではありません。
既存の解約条項と矛盾していないか、消費者契約法上問題がないか、契約前に借主へ適切に説明できているかも確認する必要があります。
オーナーの利益を守るのも管理会社の仕事
賃貸管理会社の仕事は、契約書を作り、入居者から署名をもらうだけではありません。
起こり得るトラブルを事前に想定し、契約書へ落とし込み、オーナーの利益を守ることも重要な仕事です。
契約後、入居開始日前の解約は、決して珍しい話ではありません。
それにもかかわらず、契約書に何の定めもなければ、実際に問題が起きたときに判断できなくなります。
「当社では今まで問題がなかったから大丈夫」
ではなく、問題が起きる前に備えておく。
オーナーの利益を守るためにも、今一度、自社で使用している賃貸借契約書を見直してみてはいかがでしょうか。
※本記事は、当社が実際に受けた法律相談と公表資料を基に、賃貸管理実務上の一般的な考え方を紹介するものです。個別案件の結論は、契約書の内容や事実関係によって異なります。実際の対応については、弁護士へご相談ください。

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